moto1201のブログ

日常で思うことを掘り下げます。

電車内での在り方

電車内でうるさい人っています。

ああいう人たちは空気が読めないのでしょうか。

でも僕は何も言えないんです。何がいけないか説明できないからです。

 

電車は原来、移動手段として発明されたわけですが、今では電車オタクがいたり、広告を貼るのに打て付けのスペースとなっています。

別にこれは電車に限った事じゃないのですが、意味合いが変わってきましたよね。

言いたいことは、存在意義がこんなにも変遷を辿ってきたのにいつから電車は静かな場所と定義されたか、ということです。

僕は電車内でうるさくはしませんが、うるさい人をちょっと嫌に思います。それは単純にうるさいからです。でも大目に見てやろうと我慢します。

酒を飲んでる時はみんな楽しくならなければ虚しいです。眠ってる友達は起こさないようにしたいですよね。幸福な時間に水を差すようなことをしたらかわいそうですよ。自分がされたら嫌だし。

僕は他人の幸せに邪魔をするような人にはなりたくないですよ。

まあ、この後に「じゃあ他の乗客の自由はどうなんだよ」みたいな異議もありますけどそれは面倒臭いですよ。

男、バカ

「男ってほんとバカよね」

僕はこのセリフに反論する由もなく大賛成です。

 

何だか変なお話をしますが、僕は男に生まれておきながら女性の心境を深く知りたい、いや感じたいと思う時があります。これはもしや、男の境地なのかもしれません。女性の心理を理解したいからこそこの観念を抱いた可能性もありますね。

 

時はティーンエイジ。僕の周りには家族を含め、色々な女性がいました。どの女性も例外なく恋をしてきたはずです。ということは、言わずもがな悩んだ日々もセットで付いてきます。彼女たちは悩んだ末、各々が四方八方へと飛び立って行きました。

僕には男のくせにがんばって女性目線で物事を言うように努め、女友達を激励した日々がありました。

今もなお、その日々は相手が変わって続いています。

彼女たちはほぼ男に苦しめられているわけです。しかしだからと言って、男が悪い、と僕は思いません。

恋とかが絡んでくると話は別なんです。みんな頭がオーバーヒートして特に言いたくないことを言ったり、冷たくしたりしてしまうのです。

だから、いい経験だったと思えればそれはもうゴールです。次のステージに進んでください。

 

政治は年がら年中とやかく騒がれます。

大手飲食チェーンも常にどこかの店舗でクレームをもらってます。

小さいことで騒ぐのは僕は嫌いです。ちょっとの我慢とかちょっとの譲歩で事が解決するならそれでいいじゃないですか。

 

男はバカです。

勝手に好きになった人に、なんで好きになってくれないのと疑問を抱きます。それに理由がある事がわからないのでしょうか。

 

こんな偉そうに鳥瞰している風ですが、こんな文章を書いてる僕が一番見栄っ張りでバカだと思います。

サンボマスター

夏休みが近づいてきた。

8月の予定が埋まってきて、車で出かける予定が多々ある。そこで必須なのがイケた音楽。プレイリストを作ろう、と決意して俺のお気にアプリであるspotify起動戦士ガンダム

 

ここで重要なのが、自分だけが盛り上がる曲はダメ、ということ。そんなのは勝手に「好きな曲」とかいうつまらん題名のプレリストを作ればいいのだから。みんなで盛り上がろう。だから題名は「ヤーマン夏、旅行の時に聞きませう」。あえて古典っぽい表現を使うことで気取りすぎず、やむごとなきレジャーを堪能できる仕様である。

洋楽は賛否両論あるので基本は邦楽。そしてJ−POP。「平成ヒップホップヒストリー」だの「TOKYO SUPER HITS」だの色々吟味していたらサンボマスターに出会った。

 

ヒットランキング1位から順に聴いていったところ、全曲がすごくいい。青春の甘酸っぱい感じに素直になれず、「俺はこうだ!」と自我を貫こうとするけど、それが正解かわからない、でもそうしとこう!的なガッツの効いた歌声。男らしいけどボーカルに合わせてビートを打つドラムと抑揚のあるベース。

3曲聴いたあたりから薄々と、言っちゃいけないような言葉が浮かんできた。

「メロディー全部一緒じゃね?」

これは本当にタブーだと思う。いやもちろん一緒なわけはないのだが、似てる。

 

音楽界には野田洋次郎のようにバラードもいければポップもいけるような歌手が多い。そのような歌手はメロディー含めて支持を集めているわけだ。言わずもがな彼のカリスマ性が人気の要因である。

サンボマスターはメロディーが似てても歌詞はもちろん違う。何が言いたいかというと、歌詞と勢いを見てください、ということです。

 

「大丈夫?」と体調を崩した子にLINEするのが男子は好きです。

でもこれは本当に心配しているかどうかわかりません。ましてチャットという活字のみのコミュニケーションで感情は伝わりにくい。言葉のひとつひとつが軽くなってきて電話が無料になり頻度がエグいこの世の中で本当に自分を想ってくれたり、味方になってくれる人を見定める力が必要です。

「大丈夫?」という言葉の中にいろんな感情が隠れていて、「君のことが心配だよ」とか「あわよくば、僕にコロッと来ちゃいなよ」とか「そんなの大したことないよ」みたいなピンからキリの世界なのです。

それを少しでも読み解けるように生きていってください。ということを伝えるためにサンボマスターはあえて似たメロディーで曲を書いているのだと思います。

 

違うか!

胸毛

灰皿が灰で埋まった時、俺は替えの灰皿を頼んだが彼女はオリーブを注文した。

昼過ぎのカフェであの映画がいいだのこの音楽が好きだの、派生して同性愛が難しいとかレストランのトイレが嫌だとか。俺らは何を話してんだと恥ずかしくなりながらも談笑していた。

右に太ももを剥き出しにしたホットパンツを履いた女とその相方(女)、左には人の良さそうな彼氏とその彼女。

 

昔、お祭りのポスターに男性の胸毛が写っていて、それが「不快だ」と訴えられた事案があった。今はSNSのおかげでいろんなものが侮蔑の対象となっている。彼女は口をすぼめて煙を鋭く吐いた後で熱く語った。「歳をとれば老害で、少し幼かったらガキで、髪が少なかったらハゲ。身長が低かったらチビで背が高かったらのっぽ。受けいれられる範囲狭すぎない?」

街を歩けばいろんな人間がいる。その街にもよるが基本は老若男女、古今東西、弱肉強食いろんな奴がいる。なんでこいつはこんなにアホズラなのに部下がいるんだ、とかなんでこいつは生乾き臭いのに彼女がいるんだとか、逆も然りで、こんな可愛い少年がなんでお母さんにひどく叱られるのか、なんでこんな優しいおばさんが貧乏なのか。

人の悪いところを掻い摘んでそこだけを大々的に発表して支持を得るのは人間の悪い癖である。確かに見た目や行動で他人に迷惑をかけることはたまにある。でも彼らにも事情がある。

見た目がグロテスクでもおいしい魚はいる。

その魚に見た目の改善を望むだろうか。どうでもいいだろ。

 

煙の行方に配慮して手を回して、俺が彼女の顔を見ると彼女は何かに気付いたように口からオリーブの種を出した。これもどうでもいい。

 

シャワーを浴びて

今日のコーディネートは原宿の古着屋で買った黒のシンプソンズTシャツに黒のワイドパンツ。それでもって左手には小説を携えていた。「シンプソンズ着る人は本なんて読まないよ。」そんな声が頭のどこかから聴こえた。

駅の入り口で強めに躓いた。脳が少し前にズレた感覚がして、奥にしまってたセンチメンタルシングスがどっと暇を潰した。

今日の反省は、平気な顔で「みんなはあまり言わないけど、お前は可愛いよ。」と女友達に言ったことと、リフレクソロジー嬢をやっている中学時代の友人に「お前は不安がましい」と言ったこと。

なんで好きでもない人に優しくするんだ。

 

最寄り駅に着いて一番に改札を抜けて階段を登る。今日は気分が落ちてるから違う道で帰ってみよう。誰もいない道を歩いて、今日は誰にも会いたくない日だ、と改めて思う。

商店街を歩くと深夜0時前なのに、白黒のパグを散歩させる芸能人のプライベートみたいなファッションの飼い主とか、大声で通話しながら自転車に乗るアジア人とか、それくらいしかいなかった。

 

上京してきてから一年が経つけど、俺はこんなに弱くなかったと思う。いつも明るくて、嫉妬するとすぐ表情や態度に出る子供みたいな性格のくせに、見栄っ張りだから知ってることは全部自慢げに喋ってしまう。かつてはそうだった俺が今はあまり喋らなくなって、言葉や話題を慎重に選ぶようになった。’’大人になった’’と言えるかもしれないけど、もしそういうことなら息苦しい。こんな他人以上に自分を気遣って、秘密は秘密にして、悲しい時は我慢してって、だったら俺はずっと子供のままがいい。

シャワーをいつもより高い位置に留めていつもより長い時間浴びていた。毎日お風呂に入る時、こんな悩みも一緒に洗い流して下水と混ざっちゃえばいいのに。

焼き鳥

「このぼんじり、食っていい?」

「あー全然いいよ!」

 

この会話の中には幾ばくかの複雑な感情が介在している。

勿論それは対象が塩キャベツでも餃子でもだ。

人は他人に気を遣う生物だ。この焼き鳥問題においてそれが顕著に表れる。

ライオンは子供以外に肉を与えない。それが動物界のスジだし、本来人間だって自分の好物は他人にあげたくない。でも人は優しいから好物を他人とシェアしたがる種もいる。

 

俺はネギを食べたかったのにエイタが取った。でもエイタはネギを一塊しか食べずに二塊をバックトゥーザお皿。エイタはきっと俺に気を遣ってネギを全部食べなかったんだろうが、俺は他人の手に一度渡ったネギなら、俺の手中に収まる権利なんてないと思っていた。そんな急に俺の元に泣き寝られても困ってしまう。

相手にそんな気を遣わせるなら焼き鳥盛り合わせなんて作らないでくれ、店長さんよ。

だから俺は盛り合わせがテーブルにきた途端、好きじゃない串を一本占領する。相手が好きそうな串には手を触れない。

この気遣いは、誰も気づかない。相手からしたら「こいつ、ししとう好きなんだあ」としか思われないし、気遣いとは覚られない。そいつが死ぬ間際になっても俺の気遣いは串入れの底に眠ったまま。

 

気が利くとか、優しいとか、酒が強いとか。そんなのは自分で決めるもんじゃない。

どんなに頑張って仕事をしても、評価をするのは他人だし、判断材料は結果だ。

「俺、酒強いんすよ」

いやまて。それは自称:酒豪だ。人に言われて初めてかっこよかったり、酒が強かったり、オシャレだったりする。

二杯目のハイボールを半分飲んだ季節にエイタが言った。「面接って、自分でPRするけど、友達連れてきて自分を紹介してもらった方が早くね?」

確かに。名案だ。

この世で自分で言い切れる事は案外少ない。好きと嫌い、これくらいかもしれないと彼ははにかんだ歯にアルコールを浸み込ませた。

たばこ

タバコを吸いながら話題に困ると決まって私はこう言う。

「タバコ考えた奴ってバカじゃね?」

そうだね、で終わるつまらんジャブトークに終わるのだが。

 

原宿駅近くにある純喫茶でタマキとアイスコーヒーをすすっていた。

無駄なものがここまで発展してきた現代社会。本当にそれって無駄なの?という疑問が浮かんだ。

南アメリカだかアフリカの方にいる少数民族もタバコらしきものを吸っているらしい。

タバコは社会の発展による産物ではなく、人間にとって必需なのやもしれん、と二人話す夜9時あたり。

 

なんでそんなことするの?と言いたくなるほどに丁寧な接客、どこまで優しいの?という他人の彼氏、ハイセンスすぎてついて行けないファッション。

この世は無駄なもので溢れているが、それらが一瞬で消えようものなら私たちは路頭に迷う。’’無駄’’というのは見栄とか意地の具現化であって、それが他人の目に美しく映った時、無駄でなくなる。ピタゴラスイッチなんて’’この世の無駄なものベスト3’’に入っているが、あれは人々に多くの感動を与えている。だから皆、無駄だと思っていない。

 

簡単に言えば、今のところ大して無駄なものは存在していない。ハワイアンレストランで頼んだアイスコーヒーに付いてくる3本の極細ストロー以外は。