moto1201のブログ

日常で思うことを掘り下げます。

漠然としたこと。

昨日、10時半くらいにバイトを終えて友達と池袋でラーメンを食べてたら女友達から急な電話。泣いてた。とにかく会いたいという旨だったので池袋に来てもらった。

彼女はレズビアンカップルでダンサーである。

悩み相談の舞台はジョナサンに設定。恋人と喧嘩したらしい。

色々聞いて感想。「同性愛むず!」の一言に尽きる。そんなことを思いながら時間は刻々と過ぎていく...

人間誰しもが話し込んでいけば会話の内容が漠然としてくるものだ。「愛ってなんだ?」とか「恋と愛の差は?」とか...

 

以前ラジオを聞いていた時にいとうせいこうみうらじゅんが言っていた。’’愛してる’’って言葉は’’愛してる’’で一つの言葉じゃなくて’’愛’’を’’してる’’んだよ。って。

確かに’’恋してる’’って言葉は’’恋’’をしてるもんな。

プラスアルファで’’I do love you.’’って「あなたを愛してる」の強調構文だった気もしなくなくなくなくなくない?

 

そこでその女友達にクエスチョンをぶつけられたんだが「恋と愛の違いってなによ?」って。いや、そんな話なんで深夜のジョナサンでしなきゃいけないんだよ!って思ったけどその類、嫌いじゃない。

僕の見解は...恋は甘酸っぱいなんて言ったらリリー・フランキーのエコラム読んでるのバレるしなあ。でも恋は甘酸っぱいよ。思い込みが手伝ってものすごい固いものになる気がするけど横からつついたら簡単に崩れちゃう。まあ恋の定義はこの世にいくらでも転がってるんだけど、愛の定義は本当にむずい。

でも愛は恋よりも絶対数が多い気がする。俺は愛に関しては男女隔てないものだと思ってるから、男友達とツッコミがハモった時とか、深夜に電話して出てくれたりとか会ってくれたりする時に愛を感じる。「うわあこいつ!もう!おい!」っていうなんとも言えないサムシングが込み上がってくる。でもそれを表に出さないから男友達ってズッ友なのかもね。

異性に対する愛は難解キャンディーズ。体の接触で表現できちゃうし、まあそれでも足りないんだけど、なんかたまにチープに思えちゃうんだよね。記念日にプレゼント用意したり、レストレン予約したり、キスしたり...

 

愛は、形にする前の構想が愛なんじゃないかな。

 

ただそれに気付いてる人がこの世にどれくらいいるか。

12月1日で5ヶ月記念日。有楽町の東京交通会館の回旋フレンチレストランを予約してもらって、デザートが置かれた季節に4°Cのネックレスのプレゼント。口では「わあ!ありがとー!ニコニコ」しか言えないが心で何を思うか。ただ目前の幸せに焦点を合わせるのか、それとも「この人、私のために前々から色々考えてくれたんだなあ。かーわいっ」まで遡って考えられるか。ましてやそれを彼女が言葉にしてくれたらウレシス極まりない。

愛とは形ないもので、ネックレスとか「愛してる」の言葉とかじゃ伝えきれないサムシングなのさ。物理的な事柄から遡ってそのサムシングを理解しようとすることが愛なのかもしれない。

 

結局最後までリリー・フランキーだった。