moto1201のブログ

日常で思うことを掘り下げます。

気づき

僕には美大の友達がいて、そいつと先月飲みに行った時、やはりディープな話になった。

 

’’ものづくり’’について。

 

新宿ゴールデン街に行った後、コーヒーをしばきたくなってコーヒー西武へ。

席に案内されて、タバコ片手に怒涛のおしゃべりが始まった。

お互い美術館や展覧会が好きなもんで、今後どんな展示がイカすか、という議題に落ち着いた。

 

今や、六本木や上野、丸の内、都外で言えば逗子や新潟で多種多様なアートなイベントがある。そのどれを取っても’’斬新さ’’とか’’古き良きもの’’とかが取り上げられていて、それなりに集客し人気を集めている。それもそれで個人的にバズっているのだが、もっとオモローなイベントないかなあ、とも思っている。

 

アメリカで、真っ白いスペースにメガネをポンと置いたらみんながそれを作品だと思って撮影し始めたという事例があるように、アートは意外にもそこらへんに転がっている。

極端に言えば、普段使っているマグカップだってスニーカーだってダウンジャケットだって「アートです」と言われたらもうアートなのだ。

 

第二次世界大戦終戦後、日本は焼け野原で物がない時代が到来した。そんな中、ラーメン屋を営んでいた男が小麦を育てて中華麺を作り、素揚げして保存食にしたのがチキンラーメンの始まりだと言う。何もない時代に新しいものを作れば売れるのは当たり前。でも今は物に溢れている時代。何を作っても先達がいて、儲からない時代。ダンス界だって家具界だって小説界だって。じゃあどうするか。

まずは感謝するしかない。今あるものに。それがある意味、今催されている展示会だったり、コレクションだったりするわけだ。

この’’ありがとうスパイラル’’はそのうち終わる。次にやってくるのが’’はじめましてロックンロール’’である。

 

今使っているコップに対して、「ありがとう。お前がいなかったら不便だったよー。でも新しいの作っちゃうよ。」っていう常識からの逸脱センチュリー。それからは、今では想像できないもので溢れるだろう。

 

いくら科学が進歩しようと、結局人間は芸術によって突き動かされる。

今は科学の発達により、芸術の存在が薄らいでいるが、科学が存在しない時代は芸術が中心だった。偶像崇拝なんてまさにそれで、物理的に’’ないもの’’を作り出してそれを信仰の対象とし、国家を束ねていたわけだ。

 

TED Talk で聞いたけど、Apple社が売れた理由は科学と芸術の融合であるから。らしい。機能的にはXperiaの方が上らしいがどうも角ばってて愛着が湧かない。一方、iPhoneは丸みを帯びていて操作も単純でなんか可愛い。ましてiPhoneに関しては、イヤホンジャックと充電器の差込口が一緒というクソなことをしても許されている。

なんでiPhoneを買うか、なんてみんな考えない。俺も考えなかった。みんなが持ってるし、なんかオシャレだから。その時点で既に芸術の虜なのだよハニーバニー。

 

つまりは、科学技術の発達どうのこうのってゆうとりますけど、裏で操ってんのは芸術であることにみんなは気づいてないってこと。気づいてる人もいるけど。